10月12日 神主のお祓いの式典の後、子供御輿・お囃子山車が誉田地区をまわりました。
[八幡神社の祭りの歴史]
誉田町2丁目八幡神社の祭りは昔は春が4月15日 秋の収穫祭は10月15日と決まっていて、親類や近所の人達を招き作物の豊作を祝い、酒を振る舞い親睦を図っていました。
誉田2丁目は、昔は十文字が原と呼ばれ高台で飲み水が確保しにくく人が明治初めまで住んでいなかったらしい。ほとんど竹藪が茂っていたらしい。 誉田2丁目の先代は四国、山梨、埼玉、一部瀬又、辺田、椎名などより開拓団として十文字ヶ原(2丁目)に人が住み着いた様です。戦前から住んでいる方は先祖は四国、山梨、埼玉の方が多いです。
八幡神社は阿波国群賀群中野島村より分神して、 岸本武八郎正昭氏 井谷延蔵氏 大宮伊蔵の三氏により奉納され誉田二丁目現在の所に明治25年11月25日に鎮座執行されたと境内の案内板に書いてあります。
誉田町八幡神社の御輿は戦後復興、豊作を祝い樽御輿などで作り青年団で村を回っていました。 昭和三五年位までは大人の御輿が秋祭りに担いでいました。
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その後車社会に進み誉田の街が道路が狭く危険だとのことで中止になっていました。昭和四十年頃から御輿を車に乗せてお囃子を結成して15日の祭りの日には町内を回っていました。平成7年に三須和夫初当選を機に何とか大人御輿はダメでも山車と子供御輿を出したいと、当時篠原町内会長、斉藤顧問、三須和夫で話して警察関係にも足を運び平成8年10月15日から現在の子供御輿と山車が出る様になりました。
今年で13年目となります。これから道路事情もありますが大人御輿を出したいとみんなで考え中です。 今年も前夜祭に昼よりお囃子の皆さんと馬鹿面踊りの皆さんが車で町中を回りお年寄り施設の皆さんが大喜びなど色々と笑いの種をまき散らし 本番は氏子の方、2丁目町会役員、ボランテイア大勢の協力で子供御輿を担ぎ山車を引き大勢の子供さんと町内の皆さんが頑張りました。
神社境内に舞台を設けカラオケ、踊りフラダンスなど盛り上がり最後は抽選会で運の良い家族で爺ちゃんが1等孫が2等と大当たりでした。氏子会長初め大勢の協力で年年盛り上がって来ました、ことしも男の子に負けずと女の子も黄色い声を出し御輿を担ぎいい思い出のアルバムの1ページができたことと思います。来年もみんな参加して祭りを盛り上げようね。
夜は奉納演芸大会 和太鼓、剣舞、ばか面おどり、カラオケ、舞踊など