着工から完成まで 千葉市議会議員 みす和夫 公式ホームページ

千葉市緑区を考える
みす和夫
 千葉市緑区に関連する情報・歴史・文化などを広く取り上げることにより、千葉市民ならびに支援者の皆様のお役に立てればと思っています。
 皆様からのご支援を賜れれば幸いです。
プロフィール
これまでの実績
誉田駅橋上化までの歩み
はじめに-
外房線と誉田駅の生い立ち-
市議会での記録平成7年〜平成11年-
市議会での記録平成12年〜平成17年-
着工から完成まで-
あとがき
誉田駅完成予想図 全体 誉田駅完成予想図 北側(昼間)
誉田駅完成予想図 北側(昼間)
誉田駅完成予想図 北側(夜間)
誉田駅完成予想図 全体 誉田駅完成予想図 北側(夜間)

地鎮祭
平成16年10月5日着工!

 平成16年10月5日、JR誉田駅の橋上化工事が始まりました。新たな誉田駅は幅員7.5mの南北自由通路を持つ橋上駅舎です。南北自由通路の階段とホームへ降りる側にエスカレーター、エレベーターが設置され高齢者、身障者にも十分な配慮がなされた円滑な歩行導線が確保されています。  外観は伸びやかな曲面の屋根でデザインされ、内部空間は利用者の快適性を配慮し自然光を十分に取り入れたデザインとなります。

地鎮祭
平成16年10月5日着工!
国土交通省への陳情 国土交通省への陳情
誉田駅橋上化の補助金を林幹雄国土交通副大臣(当時)へ。
  松野議員をはじめ地元の代表と共に国土交通省や関係機関へ足繁く通うところ6年、みす議員の熱意は年々に増し、ついに国からの補助金も勝ち得たのです。
困難な駅橋上化 二重苦の図式

 昭和32(1957)年頃まで駅の北側では農家が15軒ほどあり、麦や落花生などが生産されていました。しかしその後まもなく川崎製鉄(現JFEスチール)の社員のベッドタウン化に伴うミニ開発が始まりました。高度成長期の初め区画整理もされないままに畑道に住宅が立ち並び始めたのです。
  誉田駅橋上化の要望は昭和50年頃から署名運動などされていましたが成果は得られず、過去3度ほど、出た区画整理の計画も、「住宅が密集しているため困難」と受け入れられず、その度に「計画」に終る結末が続きました。当初、千葉市では近隣の土気、鎌取と同様に受益者負担による誉田駅の橋上化を計画していましたが、前期のように早くより川崎製鉄のベッドタウンとなっていた誉田では区画整理が困難、そして地権者・受益者負担による駅橋上化資金の捻出が不可能と言う二重苦の図式が出来上がっていたのです。

誉田駅橋上化 実現の歩み

 昭和22年、誉田町で生まれたみす和夫は、平成7年の初当選以来、駅橋上化の二重苦の中、市議会で幾度も「誉田駅橋上化及び周辺道路整備」を訴え続けました。その度「予算がない」と断られました。
  辛抱強く質問を続けいる折り何度か「南北自由通路のみを建設」と言う市担当者からの回答もありましたが、みす和夫は「それのみで解決したとされる懸念、そして誉田の将来を熟考すれば駅橋上化と周辺整備は同時に行わなければ不可能です。」と初志を貫き断りました。
  予算の問題を解決するため、市議会だけでなく国会議員の方々にも協力していただき関係省庁に足繁く通い続け、ようやく補助金が交付される「街づくり支援事業」という窓口の設置にこぎつけ、これを元に平成11年3月3日、千葉市議会にて誉田駅の橋上化整備が決定されました(補助金は事業費の40%が国より交付される)。
  思い起こせば、誉田駅橋上化のために、みす和夫は市議会に立つ決意をし、育てご支援頂いた皆様と共に、この夢の実現のため、初当選より今年で10年、走り続けてきました。

自由通路幅員7.5メートル、エスカレーター、エレベーターを設置して立派な駅が1年5ヶ月間工事関係者の努力で平成18年3月22日完成し、鶴岡市長初め誉田東小の子供達や関係者による、テープカットや渡り初めが盛大に行われました。
 誉田駅橋上駅舎供用記念式典が、天気も応援してくれた4月9日に、地元誉田2丁目町内会を中心に近隣の多くの自治会、町内会、各種団体から延べ二万人余の参加者を得て、桜の花びらの降る中で開催されました。

 芸人によるお祝い芸の披露に続き、地元の誉田中学校、誉田小学校、誉田東小学校の児童・生徒達による吹奏楽やダンスは、大人顔負けの熱演でした。 また県警吹奏楽隊の演奏も式典に花を添えてくれました。

 さくら公園から誉田駅までのパレードは、「鉄道唱歌」を演奏する誉田東小学校児童を先頭に、舞踊グループの総勢300人の皆さんが「緑区音頭」の踊りで続き。八幡神社の御神輿、お囃子、山車など150人程の皆さんも加わって、誉田のまち始まって以来といわれる程の盛大なパレードとなりました。

 舞台を設けたさくら公園では、地元の皆さんによる色々な芸の披露で盛り上がり、〆の餅投げには5俵分の餅が撒かれるなど、誉田のまちは終日祭り気分で賑わっていました。
はじめに-
外房線と誉田駅の生い立ち-
市議会での記録平成7年〜平成11年-
市議会での記録平成12年〜平成17年-
着工から完成まで-
あとがき