外房線と誉田駅のおいたち 千葉市議会議員 みす和夫 公式ホームページ

千葉市緑区を考える
みす和夫
 千葉市緑区に関連する情報・歴史・文化などを広く取り上げることにより、千葉市民ならびに支援者の皆様のお役に立てればと思っています。
 皆様からのご支援を賜れれば幸いです。
プロフィール
これまでの実績
誉田駅橋上化までの歩み
はじめに-
外房線と誉田駅の生い立ち-
市議会での記録平成7年〜平成11年-
市議会での記録平成12年〜平成17年-
着工から完成まで-
あとがき
当時の誉田駅 当時の誉田駅
 誉田駅は明治29年1月20日房総鉄道株式会社による蘇我−大網間の鉄道開通に伴い「野田」駅として開業しました。

 房総鉄道は明治40年に鉄道国有法により国有化され、その後に駅名も大正3年12月1日より誉田駅に改称されました。ちなみに、当時の駅利用者は一日平均220人ほどだったそうです。

 房総線が千葉−茂原−安房鴨川間を房総東線。蘇我から東京湾沿いに木更津方面に向かう房総西線(現在の内房線)と東西に区別されたのは昭和8年4月1日からで、その後再び昭和47年7月15日の電化開業を期に外房線に改称され、昭和53年からは快速電車も停車するようになりました。
当時の誉田駅 当時の誉田駅
誉田駅舎



誉田駅周辺を上空から
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外房線と誉田駅の生い立ち-
市議会での記録平成7年〜平成11年-
市議会での記録平成12年〜平成17年-
着工から完成まで-
あとがき